先日、音声メディアで人気のあるvoicyを聴いていたら、
中国とアメリカで育った日本人パーソナリティが
「日本人は言葉の奥にある意味を察しなくてはいけない文化が強く、
直接言ってくれないから理解できない、中国とかアメリカだったら
思っていることをダイレクトにいうのに対して日本の
コミュニケーションは難しい」と言ってました。
外国人もよく、日本人は間接的に言うので本音がよくわからないと
いうのもよく聞きます。
実際に外国人と一緒に仕事をしていると、確かにこれは気を付け
なければいけないポイントです。
外国人と一口に行っても、アメリカ人とアジア人では歴史や価値観も
違うし、日本では一括りに欧米人と言いますが、アメリカとフランス、
ドイツやイタリア、スペインなど習慣や価値観も全く違うので、
それぞれの常識が相手の常識ではないことを意識していないと、
日々のコミュニケーションで要らぬトラブルを引き起こします。
私自身、今でこそ長年多くの外国人と働いてわかってきましたが、
外国人と働き始めたばかりの頃は失敗をしていました。
例えば何かを話している時、「そんな時はこうでしょ?」と
自分の常識からしたら当たり前と思って話しかけると、相手からは
「Why?」と帰ってきてしまい、「えっ!?」と思ってしまったことが
ありました。
したがって、外国人とコミュニケーションするときは、意識して
日本の常識が世界の常識ではないということを念頭に置いて
コミュニケーションをしなければならないということです。
つまり、日本人だったらはっきり言わなくても当たり前に
理解することでも外国人には通じないということを意識する
必要があるのです。
また、外国人と接する機会が少ない日本人はどうしても自分の
価値観が正しいと押し付けてしまいがちです。
でもこれはグローバル化の時代にはやってはいけないことです。
それこそ日本が鎖国をし、海外とのビジネスを行わない、コミュニ
ケーションを行わないというのでなければ、相手の価値観を尊重
しなければ、逆に日本だけが世界から浮き上がってしまう結果
になってしまいます。
是非、気を付けて欲しいところです。
ただ、これは日本の価値観、習慣を捨てて相手に合わせなさい
ということではないので誤解をしないでください。
日本の歴史、文化は優れたものが多くあります。
なぜ、日本人は直接的に言わないのでしょうか?
それは日本では、万葉集の昔から、1300年以上にわたって多くの人が
和歌を詠ってきたことはご承知の通りです。
和歌の中でも皆が一番親しんでいるのが五・七・五・七・七の
短歌のリズムです。
このたった三十一文字の中に自然に触れた感動や恋の悩み、孤独の
悲しみなどを詠み込んできたのですが、平安時代の貴族やエリート層
の人々にとって和歌は教養の一つであり、和歌が上手に詠めることが
出世や結婚にも影響する重要なものだったのです。
この和歌には表現を豊かにしたり趣を添えたりするために言葉を
効果的に使う修辞法という技法が用いられています。
掛詞(かけことば)
一つの音(言葉)に二つの意味を持たせる、「秋」と「飽き」を
描けるようなもの。
枕詞(まくらことば)
ある特定の語句を導き出すための5音からなる飾り言葉。
「ひさかたの」は光、日、天、月、空を導き出す言葉。
例)ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ
紀友則(古今集)
(こんなに日の光がのどかに射している春の日に、なぜ桜の花は
落ち着かなげに散っているのだろうか。)
百人一首にも入っている詩なので知っている方も多いでしょう。
その他、修辞法を語ればそれだけで大きな紙面が必要なのでここでは
これ以上触れませんが、この少ない文字数に、様々な技法を加え、
様々な思いを盛り込んで奥深い情緒を加える高度な文学であり、
それは、俳句とともに世界からも高い評価を得ている日本の文化
です。
この和歌が思っていることをそのまま三十一文字でダイレクトに
伝えるのでは決して趣のある高尚なものにならないでしょう。
このような日本の伝統文化の積み重ねから、私たち日々の表現についても
直接的に訴えるのではないものが入り込んでいるのではないでしょうか?
そして、それは恥ずかしいものではなく、日本人として大切にしていくべき
文化として守っていくべきものです。
したがって、このような守るものは守るけれども、外国人とのコミュニ
ケーションは、歴史も習慣も価値観も違うということを意識して、相手に
わかりやすいように話す、相手の価値観も尊重するというのが大切です。
ここで源氏物語から2首ご紹介するので、日本文化を堪能してください。
袖ぬるる こひぢとかつは知りながら 下り立つ田子の みづからぞうき
(泥田と知りながら下り立つ田子(農夫)のように、涙でぬれる恋と
知りながら、自ら踏み込んでしまった自分がつらくてならない)
六条御息所
秋はてて 霧のまがきにむすぼほれ あるかなきかに うつる朝顔
(秋が過ぎて、霧のかかった垣根にまとわりつく色褪せた朝顔、
それが私でございます。)
源氏の求婚になびかない朝顔に「花の盛りは過ぎたのでしょうか?」
という挑発的な和歌に対する返歌。
朝顔の姫君
また、百人一首から小野小町の歌を一首どうぞ。
はなのいろは うつりにけりな いたづらに
わがみよにふる ながめせしまに
小野小町
「“いたづらに”は、“花の色”と“わが身世にふる”、のどちらにも
かかっており、絶世の美女といわれた小野小町が、
花の色に例えながら自身の美の変化の憂いを歌っています。
また、ながめせしまには、長雨と自分の眺めの双方の意味合いに
なっています。」
※参考
日本文化研究ブログ
https://jpnculture.net/tanka-waka/
和歌 - Wikipedia
https://bit.ly/3hQqiTo
ちょっと差がつく「百人一首講座」
https://bit.ly/36r9ay5
和歌で味わう源氏物語 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/114140
美しい日本語の教科書!
外国人翻訳者が語る「百人一首」の世界
https://asm.asahi.com/article/11446567
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